ВОЙТИ Регистрация >
Магазины
Информация

★Freeway★1920年頃製作 フェニックス「金彩の花のチンツ」。名門Thomas Foresterがアール・デコ期始まりに製作した金彩満艦飾のチンツ。

Окончание торгов
09/08/2025 23:59 PM (Tokyo)
Текущее время
09/06/2025 21:33 PM (Tokyo)
Ставки
1
Количество
1 единиц
Лидер
kei********
Налог:
0 %
Состояние:
未使用
Доставка по Японии:
Бесплатно
Номер лота:
Автопродление торгов
Область продажи:
Продавец:
Рейтинг продавца:
291
Блиц-цена
¥22,000
(~$141)

Аукцион закрыт

КАЛЬКУЛЯТОР СТОИМОСТИ
Цена (JP¥)
Доставка по Японии (JP¥)
Общий вес (в граммах)
Страна назначения
Описание товара

c1925 Phoenix “Gold Floral Chintz”


フェニックス
「金彩の花のチンツ」


歴史ある名門のアール・デコ記念版

素朴な花に、金彩の小花散りばめる

丸い不死鳥印もゴールドでスタンプ

1879-1959年の歴史をハンドクラフトで

Paragon、Albertも見習う素朴な手描き

創業時はマジョリカ焼で知られる


★送料は全国無料。クロネコヤマト便でお送りします。
★常時50点ほどを出品中。まだ少数ですがフィギュリンも出品中(アンティーク、コレクション > 工芸品 > 陶芸 > 西洋陶磁 > ロイヤル・ドルトン)
★込み入ったご質問やお問い合わせは次のアドレスへメールしてください。(freeway@deluxe.ocn.ne.jp)


 英陶「フェニックス」(Phoenix)が1925年に製作・販売した「金彩の花のチンツ」トリオ。スレなどもないパーフェクトな骨董品。カップ中央に描かれた極めて素朴な花。チューリップにも見えますがほぼ、模様。チンツ(織物のような模様)と呼ばれるのは、花の背景にぎっしり配置されたゴールドの小花。樹に咲く花を配置した感じです。
 勿論、フル・ハンドペイント。出品者は昔からこのPhoenixやGraftonといった手描きの窯が大好きで、よく追っかけていました。アール・デコ期に創業したParagonやRoyal Albertも手描き時代はとてもシンプルで好感が持てる絵だったですが、これらよりずっと前に創業しているPhoenixやGraftonは世がアール・デコ化する前からより単純な花の絵のフル・ハンドペイントを繰り広げています。「癖のない」手描きの花と言っていいでしょうか。Phoenixは当に単純にして軽やか。Graftonは英国的ユーモアというか、上品なセンスが利いたオシャレ感があるタイプ。

 両社とも、歴史があり規模も大きい。通常、PhoenixはThomas Forester & Sons Ltd.(TF&S Ltd)という長い社名を。またGraftonは創業者であるA.B.Jonesの名が必ず頭に付けられます。スタンプには商号しかないのですが、英国の骨董商は必ず商号に名前を乗っけます。アール・ヌーヴォー以前から一貫したスタイルの手描きを続けた名門として尊敬を集めている窯である(あった)証と言うか、尊称でもあります。

 Phoenixは多分、創業時以来同じ手描きアーチストがアール・デコ期に入っても絵筆を振るっていたのだと考えられます。
 しかし同じような単純な花の絵と言ってもこの時期に英陶に雇われたアーチストのデザインはより花がデフォルメされ、大胆で力強い絵が転写も多用しながら大量生産されるようになります。
 最盛期700人の従業員が働いたという有力メーカー。フェニックスもこれまでのフル・ハンドペイント一辺倒は続けられるかどうかという時期。
 1925年にこのトリオが使っている円形に不死鳥を収めたマークに変更し、最後まで通しています。このマークだけでは製作年は分からないのですが、これを送ってきた英国の骨董商は「1925年」と明記しています。通常のパターン・ナンバーも書かれてないのですが、参照した資料に明記されていたのであろう。
 このトリオだけきれいなゴールドでマークが印字されています。ハンコ状のものでビタッと押したのでしょう。こんな金彩チンツは初めてでしょうし、Phoenixとしては特別製であったことは間違いありません。

 ロイヤル・ドルトン等にもある如何にもアール・デコという三角ハンドルが付いている。さあこれからアール・デコでどんと行くゾという意味の金彩のチンツ+三角ハンドルだったか。
 しかしどうだろう。出品者には、手描きの終わりの時代を察知した名門の「手描きの記念碑」であるように思えてなりません。
 下絵の単色の線画を転写する技術はどことも備えていた頃です。しかしそれまでそうしたものも使わなかった。
 Phoenixのこの五の製品を手に取っていませんから、1925年から閉窯の1959年までの間どのようなカップを作ったのか、手描きを続けたのかどうかはわかりません。
 しかし寂しい言い方ですが、PhoenixにしろGraftonにしろ、手描きから転写・印刷の時代に渡ることが出来ずに消えていった英国の名陶であったというのは間違いないところでしょう。

 金彩というのは描くには厄介であっても、とても便利というか利点のある顔料でもある。光の受け方によって輝きを変える。
 黒っぽく沈む隣でキラキラ輝くという光の2パターンを併せ見せる場合も多い。太陽光でも電灯でも、色んな輝きを見せます。
 この金彩チンツの場合、金彩の絵柄が小さいから、どんなに強い光を当てたとしても、ギンギラすることはありません。上品な反射をします。ピンクの花との反射の組み合わせは無限と言ってもいい。トリオの表情が変化して楽しめます。金彩効果を十分計算したチンツ・トリオです。

 このトリオのサイズは次の通り。
 カップの高さ6.8cm、口径8cm。ソーサーの直径14cm。スクエアなサイドプレートは縦横15cm。キズ無しスレ無しパーフェクト。チンすると金彩がバチバチ火花を出します。中性洗剤で手洗い。漂白系洗剤は厳禁。カップと、皿の擦れあいなきようご留意あらば、実用したとしても簡単に金彩は剥げたりしません。本来丈夫なものなんです。

フェニックス(Phoenix)
 Phoenix Chinaは、英国企業であるThomas Forester & Sons Ltd.(TF&S Ltd)が製造した陶磁器を指します。同社は、特にボーンチャイナをはじめとする一部の製品に「Phoenix China」または「Phoenix Ware」という商標を使用していました。
 これらのヴィンテージ品は、花柄や金彩のアクセントが特徴的なことが多く、20世紀初頭から20世紀半ばにかけて製造された英国陶器のコレクターズアイテムです。

 Thomas Forester&Sonsは、英国スタッフォードシャー州ロングトンに本拠を置く陶器メーカーでした。
 会社は1870年代にトーマス・フォレスターとして始まり、1880年代に定期的に陶芸公報に登場しました。 彼らはビクトリア朝のマジョリカと陶器の製造に特化した。
 1900年、同社はスタッフォードシャー地域で700人以上の従業員を雇用し、1800年代後半にイギリス最大のマジョリカ生産者の1つと見なされました。 同社は盛況のうちに、 ロンドン 、 パリ 、 ベルリン 、 ウィーンにショールームを構えまし た。
 1900年以前、同社はビクトリア朝のマジョリカを幅広く生産していることで知られていました。その後、技術が改善され、1920年代から1930年代にかけて、トロゴンウェアを含む多くの精巧な芸術陶器のデザインが生み出されました。

 トーマス・フォレスターはもともと、1877年に小さなワークショップの拠点となったロングトンのハイストリートで陶器事業を開始しました。
 彼は、購入後まもなく、同じ場所にフェニックス工場を建設する前に、ロングトンのチャーチ・ストリート工場を取り壊しました。フェニックス工場の開発は、1881年4月版の陶器公報によると、 ヱインズリー氏によって資金提供されたと言われています。
 フェニックス工場は1879年に開始され、トーマス・フォレスターが近い将来、陶器事業を営んだ場所です。1881年、フォレスターが建物を1つの大きな陶器に変える目的で、隣接する2つの作品を購入したことが引用されました。
 拡大された新しい窯は、フェニックス陶器と呼ばれていました。この動きに続いて、1881年、フォレスターはその年までスタッフォードシャーの陶器が受け取ったマジョリカ製品の最大注文を受けました。
 アメリカからの注文で、商品の1つのクラスの8,000個に対して3,000ポンドと見積もられました。
 1883年、トーマスの息子のハーバート・フォレスターとビクター・フォレスターが公式のパートナーになりました 。 同じ年にトーマス・フォレスターからトーマス・フォレスターアンドサンズに社名が変更されました。
 ハーバートとビクターが父親のビジネスの公式パートナーになった8年後、会社は1891年に設立されました。設立により、名前は再びThomas Forester and Sons Ltdに変わりました。
 次の10年間で、同社はスタッフォードシャー地域から700人以上の従業員を雇用するように事業を拡大し、1901年のビクトリア女王の治世末にスタッフォードシャーで最大の雇用主の1人になりました。
 トーマス・フォレスター&サンズは、 ロンドン 、 パリ 、 ベルリン 、 ウィーンを含むヨーロッパ全域にショールームを開設しました 。
 20世紀半ばにスタッフォードシャーの陶器産業が衰退したため、トーマス・フォレスター&サンズは1959年に製造業者をやめました。これは、生産が非常に限られていた第二次世界大戦と、この動きは、ボトルオーブンの使用を停止しました。

ほかにも出品しています。よろしければご覧ください。


+ + + この商品説明は オークションプレートメーカー2 で作成しました  + + +
No.108.001.008

その他の画像はここをクリック!
Auction Templates オクのミカタ [ヤフオクの商品追加画像をカンタン設置].


Have a question?