1984年5月末に、愛媛県松山市で新日本プロレスの『´84IWGP』が、開催されました。
当時、14歳の子供だった私は観戦に行き、長州力、木村健悟、寺西勇、高田伸彦(現:延彦)の各氏からサインを書いて頂きました。
今回、コレクション整理の為、4枚まとめて出品します。
【サインを書いてもらった経緯】
①長州力
前述の通り、私は当時14歳の子供で、持っていたお小遣いも少額でした。グッズ売り場で買い物をすると、売り場を担当していた新日本プロレスの人が、「せっかく買ってくれたのだから、このサインを持って帰りなさい」と言って渡してくれたのが、長州力さんの直筆サイン色紙です。何を買ったかは忘れてしまいましたが、あまり高額なグッズではなかったと思います。それなのに、当時、人気・実力ともに絶頂期にあった長州力さんの直筆サイン色紙を持たせて下さったのですから、大変なサービスです。
当時の長州さんは『維新軍』のリーダーとして、常にピリピリした雰囲気を漂わせており、周囲も緊張していたと聞きます。ファンへの対応も厳しく、サインや握手には殆ど応じなかったと聞きます。そんな時期の長州さんの直筆サイン色紙ですから、とても貴重な品ではないかと思います。
②木村健悟
当時、木村さんは『孤独』(ひとり)というレコードを発売しており、試合開始前のグッズ売り場で、レコードを買った人にサインを書いていました。しかし、お小遣いを少額しか持っていなくて、レコードを買えない私たち少年ファンにも、快くサインを書いて下さいました。
③寺西勇
当日、寺西さんは第3試合に出場しました。第5試合が終わった後、休憩時間中に会場内を散策していたら、試合を終えてジャージに着替えた寺西さんを見つけました。私は、『はぐれ国際軍団』の頃の怖かったイメージを抱いており緊張しましたが、サインを申し込むと快く応じて下さいました。
④高田伸彦
全試合を終えて、新日正規軍は会場近くの『ホテルシャトーテル松山』(現在は閉鎖)に戻りました。ホテル近くの居酒屋で高田さんが食事をしており、大勢の少年ファンが店の前で待機していました。私が店に入ってサインを申し込むと、「食事が終わってからね。」と言われました。そのまま、私たち少年ファンの群れは店の前で待機していました。
実は同じ日に、松山市でコーラスグループ『ハイ・ファイ・セット』のコンサートが開催されており、同じ居酒屋・同じ時間帯に、コンサートを終えたメンバーの皆さんが居たそうです。居酒屋から出てきたOL風のお姉さん達が、「ハイ・ファイ・セットを待っているんでしょ?中に居るよ」と教えてくれましたが、私は「いいえ、高田伸彦を待っています」と答えました。お姉さん達が「誰?それ?」と言うので、「プロレスラー!!」と答えると、お姉さん達は大変、驚いていました。
その後、高田さんが食事を終えたので、私たち少年ファンは色紙とマジックを手に、店の中にゾロゾロと入って行きました。お店にとっては迷惑だったと思いますが、店主は黙認してくれました。高田さんは全員にサインしてくれました。
以上の様な経緯ですが、40年以上前の記憶なので、間違っていたら申し訳ございません。
【サインの真贋について】
上記の様に、新日本プロレスの人から貰ったり、直接、書いて頂いたサインなので、御本人たちの直筆ですが、私の証言だけで、本当に人気プロレスラーの皆さんが書いて下さった事を証明するものが何も無いので、低価格からのスタートとさせて頂きます。気になる方、不安を感じた方は、入札をお控え下さい。
【発送について】
封筒に入れて発送するのがベストですが、輸送中に折れるなどの心配もあるので、色紙4枚であまり分厚い品物でもないのに、少し大袈裟かも知れませんが、ヤマト運輸の『おてがる配送』で、段ボール箱に入れて発送します。送料が割高になるかも知れません。御理解頂ける方のみ、入札して下さい。
【商品の状態】
40年以上前の物なので、経年劣化による変色、傷、汚れなどのダメージが有ります。そこで、商品の状態は『傷や汚れあり』とさせて頂きました。特に、木村健悟さんのサイン色紙には、裏面に数字の書き込みの様なものが有ります(画像参照)。
素人保管の上、一度、人手に渡った40年以上前の色紙です。不安を感じた方は、入札をお控え下さい。
【その他、注意点】
神経質な方、極端に状態にこだわる方、完璧を求める方は、入札をお控え下さい。
落札後の取り消し、返品は、お断りします。
ノークレーム、ノーリターンでお願いします。
他の出品商品との同梱発送は、対応しておりません。
未着や紛失、破損などの運送事故によるトラブルの補償は、当方では対応しておりません。
商品写真撮影に際して、影などが写っていますが、ご了承下さい。
以上の説明で、少しでも不安を感じた方は、入札をお控え下さい。