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広瀬栄一コレクション拓本1-117-2●昭和52年 妙心寺 衡梅院 永正2年勅○佛日真照禅師拓本 封筒なし 京都市 240625 古文書古材

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額に入れて鑑賞されてはいかがでしょうか。
永正2年は、1505年です。
妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園妙心寺町にある臨済宗妙心寺派大本山寺院山号は正法山。本尊釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。寺紋は花園紋(妙心寺八つ藤)。
日本にある臨済宗寺院約5,650か寺のうち、約3,350か寺を妙心寺派で占める。近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭が建ち並び、一大寺院群を形成している。平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれている。
  • 衡梅院 - 妙心寺六祖、雪江宗深により創建された。年代は文明元年(1469年)と文明12年(1480年)の2説がある。慶長9年(1604年)天秀得全が中興した。霊雲派に属する。雪江宗深の塔所があり、その頂相を所蔵する。出典:ウィキペディア

衡梅院(こうばいいん)は室町時代に妙心寺第6世・雪江宗深(せっこうそうしん)が細川政元の外護によって開祖され、雪江宗深の没後は遺命によって塔所になりました。その後衰微したが、1604年(慶長9年)天秀得全(てんしゅうとくぜん)が檀越・真野蔵人一綱(まのくらんどかずつな)の援助より、中興しました。なお妙心寺は1335年(建武2年)花園上皇は円観によって落飾して法皇になり、花園御所を禅寺に改めることを発願したのが起源です。
衡梅院は臨済宗妙心寺派大本山・妙心寺の塔頭です。出典:京都ガイド

◆雪江 宗深 室町時代前期-後期の禅僧・雪江 宗深(せっこう-そうしん、1408-1486)。男性。俗姓は野間、諡号は仏日真照禅師。摂津(大阪府・兵庫県)の生まれ。建仁寺五葉庵の文瑛に学ぶ。犬山・瑞泉寺の日峰宗舜(にっぽう-そうしゅん)に師事、師と共に 妙心寺に入る。義天玄承(ぎてん-げんしょう)を嗣法する。養源院に住した。1462年、龍安寺住持になる。応仁・文明の乱(1467-1477)後、 妙心寺の再建を行い、中興の祖といわれる。外護者に細川勝元・政元を得る。「米銭納下帳」 (1486-1885)により寺院経営を行い、経済基盤も確立した。『開山行実記』『 正法山妙心禅寺記』を選述した。仏日真照禅師、本源円通国師とも称された。79歳。
 雪江には四人の弟子、景川宗隆(けいせん-そうりゅう、竜泉派)、悟渓宗頓(ごけい-そうとん、東海派)、特芳禅傑(とくほう-ぜんけつ、霊雪派)、東陽英朝(とうよう-えいちょう、聖沢派)がおり、それぞれ「四派」の開祖として教団統括運営組織の基礎を築いた。出典:京都風光

広瀬栄一氏は、石岡市高浜にある酒造会社の元社長で考古学文学に造詣が深く文人との交流も数多くあります。
台東区根岸にある子規庵の戦後の再建をした寒川鼠骨との交流や再建を経済的に援助した人です。

拓本は広瀬氏が収集したものしかないと思われ大変貴重な史料です。
拓本が収集されるという広瀬氏の人脈に驚嘆します。
拓本もまた文化財だと思います。

多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てれば大変嬉しいです。

写真にあるスケールは全長17㎝です。
サイズは138×69.6㎝です。
状態は経年によるシミヤケや破れがあります。
発送は追跡可能なクリックポストを予定しています。
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